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私たちの研究の根底には
次世代の認知行動療法の一種で関係フレーム理論に基づいたやり方や、
ミルトン・エリクソンを源流とするブリーフセラピーをもとに、苦しみや悩みから抜け出し、
活き活きとした人生を歩むということをテーマとしています。

そのためにコア・スキル(中心的技法)としてマインドフルネスを利用しています。

どのようにして悩み苦しみから抜け出すのかを心理学の立場から一緒に学ぼうと、現在、新規会員を募集しています。

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2/22 13時から『自己変革のための死と再生セミナー』を行います。
興味ある方は参加してみてくださいね。
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また、2/28までの期間限定(期間を延長しました)で、私たちの活動を広く知ってもらうため、気になる
いろいろな商品をとても安く販売することにしました。
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人生は舞台劇のようなものと私はよく言います。

私たちは舞台に立った俳優のようなものです。
脚本には、私たちの個人史や感情、思考、台詞などが事細かに書かれています。

そして、それらに感情移入してその脚本に書かれている人物になりきり、演技をします。
立派な俳優は、まさにその脚本が自分であるかのように振る舞います。

舞台を見るとスポットライトが当てられ、それ以外のところは真っ暗です。

ある時は舞台の椅子にライトが当てられ、ある時はドアや本棚にライトが当てられています。

ライトが当てられたところだけははっきりと見え、その他は真っ暗で分かりません。
それしか見えない状態なのです。

 

私たちの人生もたいていはこのようなものでしょう。

自分のこれまでの人生というシナリオをそのまま受け取り、疑いもなく演じているのです。
シナリオをよく検討してみると、「評価」や「理由づけ」という思考の働きで私たちの個人史がもっともらしく、事実であるかのように書かれています。

いえ、事実として信じ込んでしまっているのです。

本当は、事実の解釈に過ぎないのに、事実だと思い込んでいるのです。

単なる事実を解釈したシナリオに過ぎないのに、つまり、シナリオは実は何通りにも書かれるものであって、それだけが事実ではないということすら忘れて、今持っているシナリオを絶対に離そうとしません。

あたかも、それが自分のアイデンティティーであるかのように、握りしめて離さず、そしてその内容どおりの自分を演じているのです。

そして、スポットライトが当てられたかのように、特定の思考や感情、出来事にのみ集中し、それしかないように思い込んでしまいます。
ライトが当たっていない暗闇にも他に何かモノがあることに全く気にもとめず、ただそのものだけを見続けてしまうのです。

 

私たちが苦悩に陥っているときはたいていこういう状態でしょう。

どれほど自分が惨めでどうしようもない人生を送ってきたか、どれほど人や社会から虐げられてきたか、
どれほどの不安や恐怖に苛まれてきたか、そのことにのみ集中しています。

そうしている間もそんな私たちに関係はなく、太陽は昇り、テレビからは番組が流れ、外ではカップルが楽しく散歩していることなど忘れて、ただひたすら頭の中の苦しい出来事に集中しています。

私たちが悩んでいる間は、ひたすら自分の思考や感情に集中し、自分の外の出来事とは断絶されてしまいます。

シナリオに書かれてあることは、事実そのものではなく、私たちの事実の解釈にしか過ぎません。
いつでも、そのシナリオから抜け出すことはできます。

そして、私たちは必ずしもシナリオ通りに演じなければいけない訳ではありません。
その内容に反応することもできるし、反応しないこともできます。

スポットライトをやめて全ての照明をつけると、舞台上にはいろいろなものが置かれていることに気がつくでしょう。
決して、椅子やドア、本棚だけが舞台にあるのではないのです。

 

舞台上の人物が、事実ではないシナリオを事実と信じて、それらを迫真の演技で演じ、ライトに照らされたものだけしか見ていないとすれば、「本当の私」というものはどこにいるのでしょう。

実は・・・

観客席に座って全てを眺めているその人こそが「本当の私」なのです。

苦しい自分、幸せな自分、わくわくしている自分、絶望している自分・・・あらゆる自分をただ全て人生の出来事として眺めている自分がいるのです。

「本当の私」は舞台上にあるもの全て、つまり、思考や感情、出来事も眺めることができます。

一つ一つの出来事を体験するものではなく、思考や感情でもない、それらを眺め、そして人生の全てを入れる容れ物としての自分がいるのです。

これらを第3世代認知行動療法では「視点としての自己」「観察者としての自己」ともいいます。
あるいは、「大いなる自己」「超越者」などどんな言い方でもできます。

この自己は言葉として知ることはできません。
言葉として表現することもできません。
体験するしかないのです。

形もなく、中心もなく、ただ視点としての自分があるだけなのです。

思考や感情が雲や天気であるとすれば、「本当の私」は、空のようなものです。

空は雲や天気ではありません。
雲や天気を抱える容れ物のようなものですが、空というものはモノとしてあるわけではありません。

しかし、空という視点に立つと、あらゆる思考や感情を抱え、なおかつ、それらに影響はされないのです。
傷つけることすらできないものなのです。

同じように、雲や天気を人生のさまざまな出来事とすれば、空はそれらを含むモノなのです。

 

私たちは、この「本当の私」を体験するためにさまざまなエクササイズを行います。

この視点に立つと、人生でのあらゆる出来事は単なる出来事であり、
思考や感情すらも「全て持つことができる」ようになります。

思考や感情と戦うことなく、打ち勝つこともなく、言い換えることもなく、逃げ出すこともなく、ごまかすこともなく、忘れようと努力することもなく、それらを「全て持ったまま」歩みたい人生を歩むことができるようになります。

感情や思考に人生をコントロールされることはなくなるのです。

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私が所属しているV.d.sは、

●そもそも人はなぜ苦しんで人生を立ち止まってしまうのか

●本当に苦しみをなくすことができるのか

●たくさんのセミナーや自己啓発本で紹介されているポジティブ思考や引き寄せなどというものに効果はあるのか

●効果があるならどうして苦しむたびに同じことを繰り返すのか

●そもそも思考や感情はコントロールできるのか

これらの研究をやってきました。

私たちは

現実をありのまま肯定し、そこからさまざまな思考や感情を引き連れながら、人生での歩みを止めることなく、本当に自分が生涯をかけて実現して行きたいことをやってみよう

を目的にしています。

人が苦しみに陥ったとき、苦悩があることが問題ではなく、苦悩のためにやりたいことができないこと、それこそが本当の問題なのですから。

違ったことをしましょう。

これまでと同じことをし続けると、同じ結果しか手に入れることができないのですから。

http://v-d-s.net/

この記事を書いた人

ファウスト博士
ファウスト博士
心理学を日常生活や人生に徹底的に使うことにより、なりたい自分を手に入れ、心と人生を取り戻すことをサポートするV.d.s.

V.d.s.主任研究員