where_is_my_mind

私たちの研究の根底には
次世代の認知行動療法の一種で関係フレーム理論に基づいたやり方や、
ミルトン・エリクソンを源流とするブリーフセラピーをもとに、苦しみや悩みから抜け出し、
活き活きとした人生を歩むということをテーマとしています。

そのためにコア・スキル(中心的技法)としてマインドフルネスを利用しています。

どのようにして悩み苦しみから抜け出すのかを心理学の立場から一緒に学ぼうと、現在、新規会員を募集しています。

http://v-d-s.net/

● 『自己変革のための死と再生セミナー スペシャル版』

平成27年3月1日 日曜日 14時から開催します
3月8日 日曜日 14時から開催します

今回は、通常なら1週間後に行う「希望者に対する無料セミナー」を連続して行います。
約4時間半以上はかかります。

死を通じての自己に対する気づきは、とてつもないインパクトを感じます。
参加費用をはるかに超えるものを手にすることは間違いないです。

この日以外にでも開催希望の方がいましたら、連絡してください。
日程調整をいたします。

チケット購入はSTOREからもできます。

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● 新商品販売

2/28までの期間限定(期間を延長しました)で、私たちの活動を広く知ってもらうため、気になる
いろいろな商品をとても安く販売することにしました。
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ここにしかない商品もあります

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昨日は「私」について少しだけ考えてみました。

今日は「心」について。

私たちは日常的に「心」という言葉を使います。

心から
心を持て
心して
心が大切だ
心がある・ない

などのようにです。

人は、言葉を使うとあたかもそこにないものがあるかのように思います。

たとえば、 りんご  という言葉を思うと、りんごがイメージできます。
しかし、目の前にはりんごはありません。

では、「心」はどうでしょうか。
「心」という言葉があると、あたかも「心」が存在するかのように思います。
「心」はあるのでしょうか、ないのでしょうか。

何度も私の過去日記に登場している「天台小止観」を紹介します。

天台小止観は、中国の天台宗の実質的な開祖である天台智顗が説いた、坐禅の詳細な方法をまとめた本です。
我が国での天台宗はさまざまな仏教を生み出した母体でもあります。
いわゆる仏教の総合大学のようなものです。
そこで行われている坐禅の方法は、禅宗も参考にしています。

止観とは、「止」と「観」の瞑想を行うものです。

『止(サマタ瞑想)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また観(ヴィパッサナー瞑想)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。』(ウィキペディア)

天台小止観の中にこのような記述があります。

坐禅を始めるとさまざまな妄念雑念が出てきます。
心が作り出す妄念雑念がなかなか収まらないとき、無理に「止」を行うのではなく、妄念雑念を生み出す心を見てみましょう、と。

そして、とても興味深い記述が続きます。

・・・

このような心は、これは有るものであろうか、無いものであろうか。
もし、無いものであるなら、つまり心は無いのであるから、どうしてその心があり得ようか。

もし、心は有るものであるとするなら、これは過去・未来・現在のどこにあるとしたらよいのか。
もし、過去にあったものであるとするなら、過去とはすでに滅したものである。
どうして心だけがあり得ようか。

もし、未来に在るものだとするなら、未来は未だ来ないものである。
どうして心だけがあり得ようか。

もし、これ現在に在るものだとすれば、現在は一刻として止まってはいない。
つかまえどころがない。
つかまえどころがないなら、心が在るということもない。

また、もし心が現在にあるというならば、現在ある心にどういう姿形があるのかをよくよく観察しなければならない。
詳細にわたって観察しても、心に姿形を見ることができなければ、・・・心が在るということもない。

・・・

また、もし現在の一瞬一瞬に生じては滅するのを繰り返すことによって、心が作り出されるというならば、・・・どうして心だけがあり得ようか。

もし、現在の心が生じては滅するというならば、過去の心がなくなって現在の心が生じるというのか。
過去の心は滅せずに現在の心が生じるというのか。

もし、過去の心が滅して、現在の心が生じるというならば、現在の心はいったいどこから生じるのか。
もし、過去の心は滅せずに、現在の心が生じるとするならば、そこには、過去の心と現在の心の二つが存在することとなる。
現実にはそうはなっていない・・・

などと、心は存在しないということを説くのです。

止観の「観」とは、自己の心の本性を明らかに見きわめることであって、

一切の事物は、固定化されたものではない。
一切は、一瞬一瞬の心が、固定化した概念を作り続けるものであり、すべてが空であることがわかったならば、一切のとらわれの心は起こらないのである

というものです。

さて、そうすると昨日お話ししたように、「私」というものはどうでしょうか。
「私」はあるのでしょうか、ないのでしょうか。

私たちは、仏教を広めているわけでもなく、宗教として信じているわけでもありません。
しかし、仏教から宗教色を取り除いてみると、そこには哲学やそれに基づく高度なセラピーがあるのが分かります。

特に言葉が作り出す思考と、その思考にとらわれて苦悩して身動きできなくなる仕組みやそこからの脱出方法が満載です。

とりわけ有名なものが、瞑想でしょう。
瞑想の有効性は、http://gigazine.net/news/20150217-power-of-meditation/  にも紹介されているとおりです。

今日紹介した小難しい理屈はともかく、これらを純粋に心理学として、私たちの苦悩や本来歩みたかった人生を取り戻すために活用してみませんか?

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平成27年3月1日 日曜日 14時から開催します
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この日以外にでも開催希望の方がいましたら、連絡してください。
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この記事を書いた人

ファウスト博士
ファウスト博士
心理学を日常生活や人生に徹底的に使うことにより、なりたい自分を手に入れ、心と人生を取り戻すことをサポートするV.d.s.

V.d.s.主任研究員